R.NATSUJI
営業課1996年入社昼は働いて(家の仕事)、夜は大学で学んだ(京都工芸繊維大学 夜間学部)
京都呉服用付属品(紙関係)製造販売(家業)、父が社長の片腕、営業も事務も、経理も、なんでもやってた。4~5人。製造もやっていた。納品配達もしてた。会社のつきあいなどもやってた。25歳とか26歳くらいから父に変わってやってた(会社同士の付き合いから社員旅行まで)。廃業してヤマコーにきた。人脈があって縁があった。
地域密着で包装資材の販売、紙ダンボール・プチプチ・クラウンパッケージへの外注・ラベル。外注先への窓口。 ヤマコーの紙ダンボール営業は最大10人だった。営業車も一人1台、そのときのやり方を引き継いでやっている。得意先の数は20%くらい減った。仲間取引がなくなった(直ユーザーばかり)。直ユーザーは小口が多い。新規開拓は飛び込み。新規開拓をする場合は紹介。ネットの問い合わせでもいい。プラダンの営業は反響営業が多いので、飛び込み営業なんかも継承していきたい。
仕事量の70%を午前中に処理すること。お客様も午後から出荷されることがほとんどなので、なるべく午前中や早い時間に配達を終わらせておきたい(入荷体勢・出荷体勢がある)。価格競争は避けられない、品質は向上すること、表裏一体ですすめる。紙ダンボールは品質はあまり問われないことが多かったが今は求められるようになった。
ホテルグランヴィア京都の食事券を会社から家族分いただいて、家族で食事させていただいたこと
前職と同じ、紙製品を扱っていたので。家も近かった(前の会社も向島で、向島工場時代に就職した)。
家族サービス・スーパーマーケット・海など、あちこちつれていく。